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原水爆禁止2023年世界大会in長崎

日付
2023年8月24日

~被爆者と共に、核兵器のない平和で公正な世界を!人類と地球の未来のために~

 8月4日(金)~8月9日(水)、被爆地の広島・長崎にて「原水爆禁止2023年世界大会」が開催されました。沼津民商からは長崎大会に参加者を派遣しました。長崎大会では総参加者4300人(現地・ウェブ併せて)と非常に多くの参加者が、日本と世界に向けて平和への願いを共有しました。

〈参加者の感想〉

 8月の7日~9日にかけて、原水爆禁止世界大会(長崎)に参加させて頂きました。台風が接近する中、天気や大会の開催自体が危ぶまれましたが、台風の停滞も手伝ってほとんど雨にも降られず、その分むせ返るような暑さでした。原爆投下の8月9日もこんな天気だったのかなと、空模様や街並みに心を傾けながらの3日間でした。

 初日、4年ぶりのリアル開催となった原水禁長崎大会開会集会では、日本のみならず世界各国からも多くの参加者が集結し、会場を埋め尽くしていました。そこで語られたことは、世界中のあらゆる立場から見ても核兵器が「絶対悪」であり「核抑止論」は破綻している事。沸騰している鍋により強い力で蓋をするのか、元の火を消すのか。抑止が出来なかった瞬間に、広島・長崎がまた繰り返される。それは何をおいても避けなければいけない事です。

 2日目は分科会に参加。私は被爆者田中テルミさんの被爆体験を聞く事が出来ました。田中さんは爆心地から2㎞離れた場所で被爆、投下の瞬間「こんな光は初めてだ」と目と耳を抑え(爆風で鼓膜が破れたり、眼球が飛び出したりしてしまわないように普段から訓練していたそうです)その後気絶してしまったようです。奇跡的にガラス戸の下に潜り込むような形になりほとんど外傷はなく、その後大きな防空壕に避難する際見た街並みは、爆心地の空は真っ黒、その下は火災で真っ赤に染まって7~8mの炎が渦巻いていたと話していました。母校の講堂では多くの重傷者が集まっていて、目の前で人がどんどん死んでいく様を目の当たりにし、その亡くなった人々をグラウンドに集めて火葬する手伝いをしたそうで、当時長崎の街はその匂いが充満していたと話しました。また田中さんは「僕は軍国少年で、いつかは偉くなって国の為に活躍するんだと思っていたが、原爆の日、あの惨状を目にして、こんな殺し方はないだろう!と思った」と強い口調で話していました。その経験を基に被爆者運動に傾倒して行くのですが、こうして語部をしながら一番知って欲しい事は「核兵器の非人道性」について、よりリアルにどこまでどのように非人道的なのかを感じ取ってもらいたい、という事でした。あの惨状を知っていたら、核抑止論や、兵器はあってもしょうがないとはならないと訴えました。国は国民を助けない、これからを担う若者達に、素晴らしい未来とはどういうものか?よく考えそして行動してほしい」と話しかけてくれました。

現在、被爆者の平均年齢も85才を超え、核兵器のもたらす脅威と被爆の実相、当時を知る本当の声を聴くことがとても難しくなってきています。自分も、この3日間で知り感じた事をできるだけ多くの人に語り伝えていかなければいけないと強く感じさせられました。

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